創業から110余周年。
今も変わらず針谷乳業は
皆様に健康と豊かさをお届けします
明治40年
はじまりは3頭の乳牛だった
1907年(明治40年)創業者の針谷亀吉は、宇都宮市戸祭町(旧)で3頭の乳牛を借用し、手ずから絞ってビン詰め・殺菌処理した牛乳の販売を始めた。当時は「乳牛を買うお金で家一軒が建つ」といわれた程で、牛乳も大変に貴重なものだった。亀吉は「地域の人々に牛乳を飲ませて、豊かな暮らしをさせたい。笑顔にしたい。」という想いで事業を始めた。
※明治40年頃作「乳牛を搾乳する亀吉」
1922年(大正12年)
2代目社長針谷正二が「新生舎」のブランドで販売する
大正12年
「直接お客様に届けたい」
との想いから配達車を考案
1923年(大正12年)2代目の針谷正二は、「蒸気殺菌・新生舎牛乳」と書かれたオリジナルの荷車を作って何台も投入した。写真は通学しながら牛乳配達をする10才の正二氏。 昭和14年には当時の宇都宮第14師団への牛乳納品を行っていた。
1936年(昭和11年)
宇都宮市戸祭町(旧)に牛乳処理工場を建設。
1944年(昭和19年)
戦争が激化し、宇都宮市全体の企業合同となる。
1945年(昭和20年)
宇都宮市東宝木町(現在地)に牧場地を移転する。
1948年(昭和23年)
牛乳処理工場建設。
1950年(昭和25年)
厚生省により、低温牛乳の発売。
1952年(昭和27年)
学校給食牛乳の開始。
1959年(昭和34年)
牛乳処理工場の増築、及び機械設備の増設。
1960年(昭和35年)
優良施設として栃木県食品衛生協会長賞受賞。
1962年(昭和37年)
針谷 正が代表者となる。
1963年(昭和38年)
日本食品衛生協会長賞受賞。
1968年(昭和43年)
牛乳の殺菌、ウルトラプロセスとなり、工場の増築及び機械の新設を計る。
1971年(昭和46年)
1000ml、500mlの紙パック入り牛乳の販売。
1972年(昭和47年)
株式会社 法人組織に改組。代表取締役 針谷 正。
1973年(昭和48年)
デザート充填機購入。プリン、ヨーグルト等のデザート類の発売。
1977年(昭和52年)
工場の新築、及び最新機械の設備、公害防止設備、完備。
1984年(昭和59年)
栃木県食品衛生協会、創立35周年記念・優良施設知事賞受賞。
昭和44年
三角牛乳の充填機を導入し、県外に販路を拡張
1969年(昭和44年)3代目代表の針谷正は、当時ビン牛乳が当たり前の時代に、三角牛乳の包装機械を導入し、県外にまで販路を拡張した。このころ殺菌機もUHT(超高温殺菌)を導入し、より良いものをより安価に、そして広範囲へ提供できるようになった。
平成2年
デザート充填機増設及び自動化
1990年(平成2年)デザート充填機の増設を行い、より多品種の商品を開発・製造できることとなった。写真は当時の商品リストで、乳製品以外にもジュースやお茶、ゼリーなど幅広い商品を販売していた。
1985年(昭和60年)
倉庫の新築、工場の増設。創業80周年記念式典。
1986年(昭和61年)
食品衛生優良施設として厚生大臣賞受賞。
1987年(昭和62年)
1000ml紙パック牛乳等の自動ラインの増設。
1989年(平成元年)
低温殺菌牛乳の発売。
1990年(平成2年)
デザート充填機増設及び自動化。
1995年(平成7年)
1000ml紙パック新型機、200ml紙パック新型機導入。
1996年(平成8年)
牛乳殺菌機増設、殺菌処理能力時間当り6000L。
2001年(平成13年)
針谷 正取締役会長、針谷 享代表取締役。
2009年(平成21年)
セミアセプィックタンクの増設。
2012年(平成24年)
資本金を2,000万円に増資。
2016年(平成28年)
新型デザート充填機を導入。
2019年(令和1年)
変電所、冷蔵庫、ヨーグルト醗酵室の増設。